ニュースリリース

令和6年10月の「ことば」

こころにじごくがあるよ
ひにちまいにちほのをがもゑる
こころにじごくがあるよひにちまいにちほのをがもゑる

令和6年9月の「ことば」

仏法の鏡の前に
立たないと
自分が自分になれない
仏法の鏡の前に 立たないと 自分が自分になれない

令和6年8月の「ことば」

この世のことは
何事も何事も
お念仏の助縁
この世のことは何事も何事もお念仏の助縁

令和6年7月の「ことば」

その人の都合で
「良い雨」「悪い雨」
その人の都合で「良い雨」「悪い雨」

令和6年6月の「ことば」

世の中に
最も度し難いものは
他人ではない この私
世の中に最も度し難いものは他人ではないこの私

令和6年5月の「ことば」

【死】から逃げて、迷う人あり。
【死】を見つめて 目覚める人あり。
【死】から逃げて、迷う人あり。

【死】を見つめて 目覚める人あり。

令和6年4月の「ことば」

我に任せよ
必ず救う
我に任せよ必ず救う

令和6年3月の「ことば」

南無阿弥陀仏とは
言葉となった仏なのです
南無阿弥陀仏とは言葉となった仏なのです

令和6年2月の「ことば」

仏さまの光に照らされて
私の心に明かりがつく
仏さまの光に照らされて私の心に明かりがつく

令和6年1月の「ことば」

人に育てられ人になり
仏に願われて仏になる
人に育てられ人になり仏に願われて仏になる

令和5年12月の「ことば」

正しいものに遇って
正しくない自分を
知らされている
正しいものに遇って正しくない自分を知らされている

令和5年11月の「ことば」

私は仏を忘れるが
仏は私を忘れない
私は仏を忘れるが仏は私を忘れない

令和5年10月の「ことば」

何年生きて来たかではない
どう生きるかだ
今すぐ歩め
何年生きて来たかではないどう生きるかだ今すぐ歩め

令和5年8月の「ことば」

人として
生まれたがゆえに
その意味が問われている
人として生まれたがゆえにその意味が問われている

令和5年7月の「ことば」

無ければ無いで苦しみ
あればあるで苦しむ
無ければ無いで苦しみあればあるで苦しむ

令和5年6月の「ことば」

雨の日は
雨の日の
過ごし方がある
雨の日は雨の日の過ごし方がある

令和5年5月の「ことば」

さまたげが
さまたげで
なくなる人生
さまたげがさまたげでなくなる人生

令和5年5月の「ことば」

散る桜
残る桜も
散る桜
散る桜残る桜も散る桜

令和5年3月の「ことば」

ただあきないをもし、奉公をもせよ、
猟、すなどりをもせよ
ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟、すなどりをもせよ

令和5年2月の「ことば」

生は偶然
死は必然
生は偶然 死は必然

令和5年1月の「ことば」

ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない

令和4年12月の「ことば」

金貨の雨が降っても
欲望は満たされない
金貨の雨が降っても欲望は満たされない

令和4年11月の「ことば」

昨日にこだわり
明日を夢みて
今日を忘れる
迷信とは自分が自分の心に迷うこと

令和4年10月の「ことば」

迷信とは
自分が
自分の心に迷うこと
迷信とは自分が自分の心に迷うこと

令和4年9月の「ことば」

咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる
咲くも無心散るも無心花は嘆かず今を生きる

令和4年8月の「ことば」

自分に満足出来ないから
人の幸せが耐えられない
自分に満足出来ないから人の幸せが耐えられない

令和4年7月の「ことば」

一切は
縁において生まれ
縁において在り
縁において去ってゆく
一切は縁において生まれ縁において在り縁において去ってゆく

令和4年6月の「ことば」

足りないものは 音を立てるが
満ち足りたものは 全く静かである
足りないものは 音を立てるが 満ち足りたものは 全く静かである

令和4年5月の「ことば」

お金持ちを羨むのではなく、
貧乏を恥じない生き方を学びなさい
お金持ちを羨むのではなく、貧乏を恥じない生き方を学びなさい

令和4年4月の「ことば」

あなたが頑張った事も知っている
あなたが怠けた事も知っている
仏さまはなんでも知っている
あなたが頑張った事も知っている あなたが怠けた事も知っている 仏さまはなんでも知っている

令和4年3月の「ことば」

『智慧』『慈悲』のはたらきそのものが
『仏』なのです
『智慧』『慈悲』のはたらきそのものが『仏』なのです

令和4年2月の「ことば」

朝(あした)には紅顔(こうがん)あって
夕べには白骨となれる身なり
朝(あした)には紅顔(こうがん)あって夕べには白骨となれる身なり

令和4年1月の「ことば」

されば人間のはかなきことは
老少不定のさかいなれば
されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば

令和3年12月の「ことば」

真実に背き 真実から逃げても 真実に包まれている
真実に背き真実から逃げても真実に包まれている

令和3年11月の「ことば」

幽霊が怖い?一番怖いのは『人間』です。
幽霊が怖い?一番怖いのは『人間』です。

令和3年10月の「ことば」

苦は私のまわりが原因ではなく、私自身の心が原因で起こる。
苦は私のまわりが原因ではなく、私自身の心が原因で起こる。

令和3年9月の「ことば」

念仏には無義をもつて義とす
念仏には無義をもつて義とす

令和3年8月の「ことば」

どんな人でも どんな状況にあっても
決して見捨てない
どんな人でもどんな状況にあっても決して見捨てない

令和3年7月の「ことば」

お金持ちを羨むのではなく、
貧乏を恥じない生き方を学びなさい
お金持ちを羨むのではなく、貧乏を恥じない生き方を学びなさい

令和3年6月の「ことば」

憎い人など ひとりもいない。
憎いと思う 「私」がいるだけ。
憎い人など ひとりもいない。 憎いと思う 「私」がいるだけ。

令和3年5月の「ことば」

平等と云うのは命が平等と云うこと
人生は平等では無い
平等と云うのは命が平等と云うこと 人生は平等では無い

令和3年4月の「ことば」

得るは

捨つるにあり
得るは 捨つるにあり

令和3年3月の「ことば」

真実に背き
真実から逃げても
真実に包まれている
極楽浄土の「楽」とは
解放されるという意味です

令和3年2月の「ことば」

極楽浄土の「楽」とは
解放されるという意味です
極楽浄土の「楽」とは
解放されるという意味です

令和3年1月の「ことば」

今を生きずに いつを生きる
ここを生きずに どこを生きる
今を生きずに いつを生きる
ここを生きずに どこを生きる

令和2年12月の「ことば」

怒られたことより
悲しませたことが
心に残る
怒られたことより
悲しませたことが
心に残る

令和2年11月の「ことば」

【死】から逃げて、迷う人あり
【死】を見つめて 、目覚める人あり
【死】から逃げて、迷う人あり
【死】を見つめて 、目覚める人あり

令和2年10月の「ことば」

念仏者は
無碍の一道なり
仏教では
善人も悪人も
同じく救われてゆく教え

令和2年9月の「ことば」

仏教では
善人も悪人も
同じく救われてゆく教え
仏教では
善人も悪人も
同じく救われてゆく教え

令和2年8月の「ことば」

仏教とは
死んだらどうなるかではなく
今をどう生きるかである
仏教とは
死んだらどうなるかではなく
今をどう生きるかである

令和2年7月の「ことば」

念仏者は
無碍の一道なり
生のみが我らにあらず
死もまた我らなり

令和2年6月の「ことば」

人間誰しも裁判官
人は有罪自分は無罪
生のみが我らにあらず
死もまた我らなり

令和2年5月の「ことば」

『怒る』『威張る』
習ってないのにできるぼく
生のみが我らにあらず
死もまた我らなり

令和2年4月の「ことば」

生のみが我らにあらず
死もまた我らなり
生のみが我らにあらず
死もまた我らなり

令和2年3月の「ことば」

本当のものがわからないと
本当でないものを本当にする
怒られたことより
悲しませたことが心に残る

令和2年2月の「ことば」

怒られたことより
悲しませたことが心に残る
怒られたことより
悲しませたことが心に残る

令和2年1月の「ことば」

逃れられない四つの苦しみ
生 老 病 死
逃れられない四つの苦しみ
生 老 病 死

令和元年12月の「ことば」

『貪欲』よ『瞋恚』よ『愚痴』よ『驕慢』よ、
あゝ我がいのち何ぞ悲しき
『貪欲』よ『瞋恚』よ『愚痴』よ『驕慢』よ、
あゝ我がいのち何ぞ悲しき

令和元年11月の「ことば」

怒られたことより 悲しませたことが 心に残る
怒られたことより 悲しませたことが 心に残る

令和元年10月の「ことば」

散る紅葉 生かす大地へ 還り往く
散る紅葉 生かす大地へ 還り往く

令和元年9月の「ことば」

朝(あした)には 紅顔(こうがん)あって
夕べには 白骨となれる身なり
他人が憎らしくて許せないのは、 
自分が劣っていて、 羨ましく、妬ましいから。

令和元年8月の「ことば」

『許しあって』ではなく『許されて』生きている
『許しあって』ではなく『許されて』生きている

令和元年7月の「ことば」

他人が憎らしくて許せないのは、
自分が劣っていて、 羨ましく、妬ましいから。
他人が憎らしくて許せないのは、 
自分が劣っていて、 羨ましく、妬ましいから。

令和元年6月の「ことば」

わたしは仏を忘れるが
仏は私を忘れない
楽しい事をやるのではなく、やる事を楽しむのです

令和元年5月の「ことば」

楽しい事をやるのではなく、やる事を楽しむのです
楽しい事をやるのではなく、やる事を楽しむのです

平成31年4月の「ことば」

念仏には
無義をもつて
義とす
念仏には
無義をもつて
義とす

平成31年3月の「ことば」

変わりたくても、変われない
変わりたくなくても、変わって行く
それが諸行無常
自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ。

平成31年2月の「ことば」

自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ。
自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ。

平成31年1月の「ことば」

私達は「明日こそは幸せになる」と
死ぬまで幸せになる準備ばかりしている
私達は「明日こそは幸せになる」と
死ぬまで幸せになる準備ばかりしている

平成30年12月の「ことば」

「あなたの気持ちは良く分かる」という私の思い上がり
「あなたの気持ちは良く分かる」という私の思い上がり

平成30年11月の「ことば」

この世のことすべては、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない
憎い人などひとりもいない。 
憎いと思う「私」がいるだけ。

平成30年10月の「ことば」

憎い人などひとりもいない。
憎いと思う「私」がいるだけ。
憎い人などひとりもいない。 
憎いと思う「私」がいるだけ。

平成30年9月の「ことば」

人間はその知恵ゆえに
まことに深い闇を生きている
人間はその知恵ゆえに
まことに深い闇を生きている

平成30年8月の「ことば」

仏教では 善人も悪人も 同じく救われてゆく教え
『貪欲』よ『瞋恚』よ『愚痴』よ『驕慢』よ、あゝ我がいのち何ぞ悲しき

平成30年7月の「ことば」

『貪欲』よ『瞋恚』よ『愚痴』よ『驕慢』よ、
あゝ我がいのち何ぞ悲しき
『貪欲』よ『瞋恚』よ『愚痴』よ『驕慢』よ、あゝ我がいのち何ぞ悲しき

平成30年6月の「ことば」

どうせ死ぬのになぜ生きるのか
よく考えてみてください
どうせ死ぬのになぜ生きるのか よく考えてみてください

平成30年5月の「ことば」

しかれば
まれにも受けがたきは人身
あいがたきは仏法なり
しかれば
まれにも受けがたきは人身
あいがたきは仏法なり

平成30年4月の「ことば」

私と私を包む世界で 変わらないものは何一つ無い
それが【無常】と云うこと
人は生きてきたように死んでゆく

平成30年3月の「ことば」

人は生きてきたように死んでゆく
人は生きてきたように死んでゆく

平成30年2月の「ことば」

平等と云うのは 命が平等と云うこと。
人生は平等では無い。
平等と云うのは 命が平等と云うこと。 
人生は平等では無い。

平成30年1月の「ことば」

苦しむことが人生だ
苦しむことが人生だ

平成29年12月の「ことば」

正しいことを言うときは
相手も傷付けやすいと云う事を覚えておかないといけない
正しいことを言うときは 相手も傷付けやすいと云う事を覚えておかないといけない

平成29年11月の「ことば」

散る紅葉 生かす大地へ 還り往く
散る紅葉 生かす大地へ 還り往く

平成29年10月の「ことば」

私達は「明日こそは幸せになる」と死ぬまで幸せになる準備ばかりしている。
私達は「明日こそは幸せになる」と死ぬまで幸せになる準備ばかりしている。

平成29年9月の「ことば」

他人が憎らしくて許せないのは、自分が劣っていて、羨ましく、妬ましいから。
他人が憎らしくて許せないのは、自分が劣っていて、羨ましく、妬ましいから。

平成29年8月の「ことば」

お金持ちを羨むのではなく、貧乏を恥じない生き方を学びなさい
朝(あした)には紅顔(こうがん)あって夕べには白骨となれる身なり

平成29年7月の「ことば」

朝(あした)には紅顔(こうがん)あって夕べには白骨となれる身なり
朝(あした)には紅顔(こうがん)あって夕べには白骨となれる身なり

平成29年6月の「ことば」

その人の 都合で 「良い雨」 「悪い雨」
その人の 都合で「良い雨」「悪い雨」

平成29年5月の「ことば」

得るは 捨つるにあり
得るは 捨つるにあり

平成29年4月の「ことば」

死んで往ける道は
そのまま生きてゆく道です
死んで往ける道は そのまま生きてゆく道です

平成29年3月の「ことば」

人生は
思ったようにしかならない
人生は 思ったようにしかならない

平成29年2月の「ことば」

逃れられない 四つの苦しみ
生 老 病 死
逃れられない 四つの苦しみ 生 老 病 死

平成29年1月の「ことば」

人生を結論とせず
人生に結論を求めず
人生を往生浄土の縁として生きる
これを浄土真宗という
人人生を結論とせず  人生に結論を求めず  人生を往生浄土の縁として生きる  これを浄土真宗という

平成28年12月の「ことば」

人間のやることに偉いも偉くないもない。
仏さまから見ればみんな平等。
人間のやることに偉いも偉くないもない。 仏さまから見ればみんな平等。

平成28年11月の「ことば」

一切は
縁において生まれ 縁において在り
縁において 去ってゆく
一切は 縁において生まれ 縁において在り 縁において 去ってゆく

平成28年10月の「ことば」

善人なおもて往生を遂ぐ、
いわんや悪人をや
善人なおもて往生を遂ぐ、 いわんや悪人をや

平成28年9月の「ことば」

苦は私のまわりが原因ではなく、
私自身の心が原因で起こる。
苦は私のまわりが原因ではなく、 私自身の心が原因で起こる。

平成28年8月の「ことば」

されば人間のはかなきことは
老少不定のさかいなれば
されば人間のはかなきことは 老少不定のさかいなれば

平成28年7月の「ことば」

人生は
思ったようにしかならない
人生は  思ったようにしかならない

平成28年6月の「ことば」

知ってやる罪、重い罪
知らずにやる罪、深い罪
いづれの罪も、縁次第
知ってやる罪、重い罪 知らずにやる罪、深い罪  いづれの罪も、縁次第

平成28年5月の「ことば」

人間は
その知恵ゆえに
まことに深い闇を
生きている
人間は その知恵ゆえに まことに深い闇を 生きている

平成28年4月の「ことば」

一切は
縁において生まれ
縁において在り
縁において去ってゆく
一切は 縁において生まれ 縁において在り  縁において去ってゆく

平成28年3月の「ことば」

どうせ死ぬのになぜ生きるのか
よく考えてみてください
どうせ死ぬのになぜ生きるのか よく考えてみてください

平成28年2月の「ことば」

今を生きずに いつを生きる
ここを生きずに どこを生きる
今を生きずに いつを生きる ここを生きずに どこを生きる

平成28年1月の「ことば」

されば人間のはかなきことは
老少不定のさかいなれば
されば人間のはかなきことは 老少不定のさかいなれば

平成27年12月の「ことば」

『損か得か』人間のものさし
『うそかまことか』仏さまのものさし
『損か得か』人間のものさし  『うそかまことか』仏さまのものさし

平成27年11月の「ことば」

『許しあって』ではなく『許されて』生きている
『許しあって』ではなく『許されて』生きている

平成27年10月の「ことば」

人生を結論とせず 人生に結論を求めず
人生を往生浄土の縁として生きる。
これを浄土真宗という。
人生を結論とせず 人生に結論を求めず  人生を往生浄土の縁として生きる。 これを浄土真宗という。

平成27年9月の「ことば」

「あなたの気持ちは良く分かる」
という思い上がり。
「あなたの気持ちは良く分かる」 という思い上がり。

平成27年8月の「ことば」

一切は 縁において生まれ 縁において在り
縁において 去ってゆく
一切は 縁において生まれ 縁において在り 縁において 去ってゆく

平成27年7月の「ことば」

【死】から逃げて、 迷う人あり。
【死】を見つめて、 目覚める人あり。
【死】から逃げて、 迷う人あり。 【死】を見つめて、 目覚める人あり。

平成27年6月の「ことば」

雨の日には
雨の日の過ごし方がある
雨の日には 雨の日の過ごし方がある

平成27年4月〜5月の「ことば」

仏教とは 死んだらどうなるか ではなく
今をどう生きるか である
仏教とは 死んだらどうなるか ではなく 今をどう生きるか である

平成27年3月の「ことば」

人間誰しも裁判官 人は有罪 自分は無罪
人間誰しも裁判官 人は有罪 自分は無罪

平成27年1月の「ことば」

我行精進 忍終不悔
高倉健さんの座右の銘、「行く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」 これは大無量寿経の讃仏偈の最後 『我行精進 忍終不悔』から来ています。 阿弥陀如来がまだ菩薩の頃、悟りを開くまでの修行時代に心に秘めた思いです。
『智慧』『慈悲』のはたらきそのものが『仏』なのです

平成26年12月の「ことば」

『智慧』『慈悲』のはたらきそのものが『仏』なのです
『智慧』『慈悲』のはたらきそのものが『仏』なのです